落川村(読み)おちかわむら

日本歴史地名大系 「落川村」の解説

落川村
おちかわむら

[現在地名]日野市落川、多摩市落川など

石田いしだ村の南東にあり、あさ川・多摩川に面している。百草もぐさ村の飛地が混在する。天文(一五三二―五五)頃に原図が作成されたとみられる高幡高麗一族屋敷・下地等絵図(史籍雑纂)によると、浅川南岸、三沢みさわ村・河内こうち村の東に「落河之村」とみえる。天正一八年(一五九〇)五月豊臣秀吉は「武蔵国多西郡内おち川之村」に三ヵ条の禁制を下している(「豊臣秀吉禁制」朝倉文書)。文禄三年(一五九四)検地が行われた(風土記稿)。寛永一四年(一六三七)には上落川で検地があった(慶応四年「村差出明細書上帳」土方豊家文書)。田園簿に落川村とみえ、田方三〇五石余・畑方一一四石余、うち幕府領七六石余、旗本の大久保領八八石・山角領九四石余・松平領一六一石、ほかに真照しんしよう(現真言宗智山派)領高六石。

落川村
おちかわむら

[現在地名]高月町落川

柏原かしはら村の南、高時たかとき川右岸に位置する。中世には富永とみなが庄に含まれ、応永二九年(一四二二)八月六日の富永庄地下人連署定損請文案(井口日吉神社文書)に落川の沙汰人百姓として「左近・慶善」がみえる。慶長七年(一六〇二)検地帳(布施美術館蔵)によれば田二一町七反余・分米二六五石余、畑二町余・分米一六石余、屋敷二反余・分米二石余。寛永石高帳では高三五八石余、彦根藩領(幕末に至る)。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば人数二五九、うち寺社方八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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