蒲生保(読み)がもうほ

日本歴史地名大系 「蒲生保」の解説

蒲生保
がもうほ

京都祇園社(感神院)領の保で、現在の蒲生町を中心とした地域に比定されるが定かではない。寿永三年(一一八四)三月日の感神院所司等解(神田孝平氏所蔵文書)によれば、源平の争乱下にあって、上野国住人讃岐四郎大夫が、感神院に対し日別御供用途を貢納する蒲生保二四町一反を、私領と号して押領するということがあり、感神院所司の訴えに基づき源義経が狼藉の停止と神領としての領有を保証している。同解文には当保は白河院のときに感神院料庄園として立庄されたもので、以来、不輸の神領として万雑国役が免除された官省符庄であると記されている。一方、元亨二年(一三二二)一〇月二四日の記録所注進状案(瀬多文書)には現日野町域を中心とした日野川流域一帯に比定される成安なりやす保は、承徳二年(一〇九八)に「蒲生保田内」として感神院領に寄付して成立したもので、そのことは長承年中(一一三二―三五)・永暦年中(一一六〇―六一)宣旨、および養和年中(一一八一―八二)の院庁下文によっても明らかであるとの記載もみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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