蒲生堂村(読み)がもうどうむら

日本歴史地名大系 「蒲生堂村」の解説

蒲生堂村
がもうどうむら

[現在地名]蒲生町蒲生堂

すず村の北西、日野川左岸に位置する。村域は南北に長く、南半は丘陵地となり、南ははた(現甲賀郡水口町)。「かもど」「かもどう」ともいう。日野川に沿う田中を通る道は御巡見ごじゆんけん道とよばれた。集落かみ村と下村とに分れ、上村のうちの上出かみでが早くに開かれた地という。正長元年(一四二八)一二月一三日の荒牧諸散在年貢引付帳(左右神社文書)に「鈴村蒲生堂」とあり、年貢引高の注記には蒲生堂堤料が散見する。天正一九年(一五九一)豊臣秀吉は「かまふ堂」高四七五石余などを伊勢津城主富田知信に与えた(富田文書)。寛永二年(一六二五)旗本滝川領となり、同領で幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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