鈴村(読み)すずむら

日本歴史地名大系 「鈴村」の解説

鈴村
すずむら

[現在地名]蒲生町鈴

大森おおもり村の北東に位置し、集落北西流する日野川右岸平地にある。村域は同川左岸、南方丘陵部に奥深く延び、南は中山なかやま(現日野町)やま(現水口町)など。地名は天暦二年(九三九)地内高岸たかぎし神社の榊の傍らにある石窟内から古鈴が発見されたことに由来するとされるが、日野川の洲にちなんだものとも思われる。正長元年(一四二八)一二月一三日の荒牧諸散在年貢引付帳(左右神社文書)に「鈴村蒲生堂」とみえる。文明八年(一四七六)一二月二〇日、鈴村帯刀信景は河東郷鈴村内の山一所を下麻生しもあそう赤人あこう(現赤人寺)寄進(山部神社文書)。永正一一年(一五一四)にも同様に鈴村氏により同所の山が寄進されているが(同文書)、これがのち明治の地租改正時に当村と下麻生村で生じた境争論の遠因となった。

鈴村
すずむら

[現在地名]仁賀保町平沢ひらさわ

仁賀保海岸の中央に位置し、東は長磯ながいそ村・平沢村、西は三森みつもり村に接する。

由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に仁賀保郷の一村として村名がある。慶長七年(一六〇二)最上氏領、元和八年(一六二二)本多正純領、翌九年仁賀保挙誠領となり、高は六八石三斗五升二合(「仁賀保総高改」渡辺文書)。寛永元年(一六二四)仁賀保家の分知に際し、内記誠次(千石家)領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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