蒲生正男(読み)ガモウ マサオ

20世紀日本人名事典 「蒲生正男」の解説

蒲生 正男
ガモウ マサオ

昭和期の人類学者 明治大学政経学部教授・ラグビー部長。



生年
昭和2(1927)年2月17日

没年
昭和56(1981)年6月2日

出生地
東京

学歴〔年〕
明治大学政経学部〔昭和25年〕卒

経歴
明治大学教務部長を経て、昭和49年から3年間、政経学部長を務めた。44年ラグビー部長に就任主著に「日本人の生活構造序説」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蒲生正男」の意味・わかりやすい解説

蒲生正男
がもうまさお

[生]1927.2.17. 東京
[没]1981.6.2. 東京
社会人類学者。 1950年明治大学政治学科卒業。東京都立大学助手などを経て,明治大学教授,日本民族学会会長などをつとめる。ラドクリフ=ブラウンの影響を色濃く受け,全体主義的機能主義によるフィールドワーク重視の実証的研究を試みた。親族年齢階梯制を中心とする研究によって日本社会の地域性を主張したほか,カナダ,ブラジルの日系移民やアラスカエスキモー,オーストリアの農村などの社会構造分析,その研究領域は多岐にわたる。主著『日本人の生活構造序説』 (1960) ,『海を渡った日本の村』 (62) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蒲生正男」の解説

蒲生正男 がもう-まさお

1927-1981 昭和時代後期の社会人類学者。
昭和2年2月17日生まれ。40年母校明大の教授となり,49年政経学部長。日本の村落,ブラジルなどの日系移民社会,アラスカのイヌイットの社会などの地域性や社会構造を幅ひろく研究した。日本民族学会会長。昭和56年6月2日死去。54歳。東京出身。著作に「日本人の生活構造序説」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android