蓑島村(読み)みのしまむら

日本歴史地名大系 「蓑島村」の解説

蓑島村
みのしまむら

[現在地名]行橋市蓑島

いま川・長峡ながお川・はらい川の河口北方、周防灘に浮ぶ蓑島で一村を形成する。対岸今井いまい村など。文久二年(一八六二)に今井村地先の干拓による文久ぶんきゆう新地の成立で、今井村との距離が至近となった。天然の良港で水上交通の要衝として機能していた。享徳三年(一四五四)三月一日、蓑島五郎が求菩提くぼて護国ごこく寺に舎利塔を寄進している(太宰管内志)。「海東諸国紀」によれば応仁二年(一四六八)に蓑島の海賊大将の玉野井藤原朝臣邦吉が、対馬の宗貞国を介して朝鮮に遣使をしている。天文二一年(一五五二)一一月の豊前津濃懸庄名寄帳(平賀家文書/大日本古文書一四)によると、京都みやこ津隈つのくま(津濃懸庄)年貢を蓑島の藤左衛門尉の舟が周防小郡おごおり(現山口県小郡町)に搬送している。


蓑島村
みのじまむら

[現在地名]福岡町蓑島

上蓑かみみの村の南、開発かいほつ村の北、岸渡がんど川両岸の低地に立地。「越中志徴」は当村および下蓑・上蓑両村域を古代の礪波郡三野みの(和名抄)に比定している。元和五年(一六一九)の家高新帳に蓑島村とみえ役家数三、大滝組に属した。正保郷帳では高二五〇石余、田方一六町五反余・畑方二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二八一石、免四ツ三歩、小物成は野役六匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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