日本歴史地名大系 「蓼科神社」の解説
蓼科神社
たてしなじんじや
奥宮は茅野市との境である蓼科山頂(二五三〇メートル)にあり(→蓼科山)、北方山麓の
「千曲之真砂」では「芦田よりながくほ江一里半、左に立科山有り、此山名所の高井山なる由、芦田下町に里宮あり、高井明神と号す、立科権現のふしおがみ也、方俗ハ此山を飯盛山といへり、山の形似たるニよりて爾云カ」と記す。
佐久郡における「延喜式」所載の式外社としては最も古く、陽成天皇元慶二年九月一六日、「是日、授(中略)信濃国正六位上蓼科神(中略)並従五位下」(三代実録)とあるのが、この神社であろうと推定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報