日本歴史地名大系 「戸田村」の解説
戸田村
へたむら
- 山口県:徳山市
- 戸田村
永正一三年(一五一六)六月一日付の上司家文書に「国衙領安田保并戸田令等保司職事」とみえる。また伊勢神宮の御師が守札の配布先を手控えた中国九州御祓賦帳の享禄五年(一五三二)分に「へたの小中殿」とある。
「閥閲録」所収文書によれば、元亀三年(一五七二)に作間源三郎が毛利輝元から「防州都
戸田村
へだむら
戸田村
とだむら
戸田村
とだむら
- 神奈川県:厚木市
- 戸田村
東を相模川が流れ、西・南は
文和二年(一三五三)の関東管領畠山国清奉書写(県史三)によれば「相模国戸田郷内淵辺弥五郎跡」とみえ、観応三年(一三五二)四月二三日に足利基氏により鎌倉鶴岡八幡宮両界料所として寄進されている。応永三三年(一四二六)六月二五日一色持家書状(同書)には「相州富田郷」、弘治二年(一五五六)三月八日北条家朱印状写(同書)伊波知行之書立に「百九拾壱貫五百文 富田」、小田原衆所領役帳には伊波氏知行分として「三拾九貫六百文 中郡富田・小柳」とある。
戸田村
とだむら
戸田村
とだむら
戸田村
とだむら
- 京都府:福知山市
- 戸田村
福知山盆地の中央部に位置し、由良川流域では川に最も接近した村。南方に
由良川は近世に全体的に北に偏して流れるようになったらしく、戸田村の東方には細長い河跡沼や水田地がある。この辺り一帯は自然堤防で、南方の広い水田よりはやや高く、古くから桑畑が多い。「丹波志」も「桑アリ」と記す。由良川が南方を流れていた時代のことであろうか、同書戸田村の項に「往古ハ何鹿郡私市ノ一村ノ出戸、川ノ北手ニアリ、洪水後、河南今ノ所ニ移」とある。
しかしその後も当村はしばしば洪水の被害を受け、例えば珍事箒集記(綾部市加藤家蔵)は嘉永元年(一八四八)八月一三日の洪水の記事に、「戸田村、家居多流、死亡の人多、是は格別水難の村なり」と記している。
戸田村
へだむら
- 静岡県:田方郡
- 戸田村
伊豆半島北西部に位置する。西は駿河湾に面し、北は
戸田村
へだむら
戸田村
とだむら
戸田村
とだむら
戸田村
とだむら
- 滋賀県:守山市
- 戸田村
戸田村
とだむら
戸田村
へたむら
戸田村
とだむら
上戸田村は
戸田村
とだむら
戸田村
とだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報