薄井村(読み)うすいむら

日本歴史地名大系 「薄井村」の解説

薄井村
うすいむら

[現在地名]二ッ井町薄井・下野しもの上野うわの狐台きつねだい高関たかせき上台うえだい中坪なかつぼつき沢口さわぐち桜台さくらだいつかだい茶屋下ちややした稗柄ひえがら稗川原ひえかわはら下稗柄しもひえがら小槻こつき山崎やまざき道上中坪みちかみなかつぼ中坪道下なかつぼみちした中坪なかつぼ下山崎しもやまざき町尻まちじり

羽州街道沿いに位置し、北は比井野ひいの村、西はたね村、米代川を挟んで南は仁鮒にぶな村・切石きりいし村に接する。米代川河畔の平坦部に開けた新田村

「歳代記」(菊池家文書)の慶長一〇年(一六〇五)に「槻木村関種村杉の木より上り、四拾弐石余高有り」とある。槻木つきのき村は薄井村の旧称で、同書寛永五年(一六二八)に「此年槻木村、薄井沢より六右衛門久右衛門と云者参候薄井村ニ成ル」とある。薄井沢は粕毛かすげ(現藤里町)の支郷。同八年には比井野・薄井両村へかかるいわ堰が完成して一千四〇〇石の開高ができていたから、岩堰の開発によって成立した新田村であり、延宝元年(一六七三)の打直検地では四七〇石余となった(歳代記)


薄井村
うすいむら

[現在地名]雄物川町薄井

北流する雄物川東岸、大曲おおまがりから南下する街道沿いに位置し、西側に船場がある。現大見内おおみないから土師器坏一〇点、土師器底部墨書土器四点などが出土、古くから人が住んでいた。中世館跡の存在をしめす西館野谷地にしたてのやち東館野谷地ひがしたてのやち館薄井たてうすいなどの小字名を残す。

梅津政景日記」元和六年(一六二〇)三月一五日条に薄井村の者が仙台(現宮城県仙台市)に売られた記述がある。村高の推移は、寛政六年(一七九四)当高一千五一四石余、うち蔵分五三石余、給分一千四六〇石余(六郡惣高村附帳)。文化一二年(一八一五)の「秋田風土記」では一千五一四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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