日本歴史地名大系 「岩堰」の解説
岩堰
いわぜき
秋田藩の重臣梅津政景が、元和二年(一六一六)比井野村新開の差紙を受けて翌三年から用水路の普請を始め、寛永八年(一六三一)頃までに完成した。岩を切り崩した所二〇〇間、深く掘り下げた所四〇〇間という難工事であった。
政景は元和六年には「藤琴村四ケ村ニ三百石ノ開、比井野村ニ弐百石ノ開」を得、さらに比井野村の蔵分五六石と
しかし、藤琴川は洪水による氾濫が多く、堰根・堰筋の破損も多かった。万治三年(一六六〇)、元文三年(一七三八)、寛延元年(一七四八)に大洪水があり、乍恐口上書を以奉願上候御事(菊池家文書)によれば、寛延元年の場合は藤琴川の氾濫で川筋が変わり、矢坂村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報