日本歴史地名大系 「薬草園跡」の解説 薬草園跡やくそうえんあと 三重県:北牟婁郡紀伊長島町二郷村薬草園跡和歌山藩は享保五年(一七二〇)薬草栽培のため、二郷(にご)村片上(かたかみ)池付近の山麓に薬草園を設置(紀伊長島町郷土史)。翌年江戸から薬草役人野呂元丈らが大台(おおだい)ヶ原(はら)山に来て薬草を採集し、当薬草園で指導した。同一一年江戸の薬草役人植村佐平次などが薬草採集を行い、大杉谷(おおすぎだに)(現多気郡宮川村)より河内(こうち)村(現海山町)へ出て、便(びん)ノ山(やま)村(現海山町)から大台ヶ原山へ登り、尾鷲(おわし)へ降りて矢(や)ノ川(こ)越で賀田(かた)村(現尾鷲市)へ出た。薬草見分けの見習として二郷村の長村貞雄と長島(ながしま)浦の湊左之右衛門が従った。翌年には同じメンバーで、伊勢より長島・賀田を経て新宮までの薬草採集が行われたが同一三年にも江戸の薬草役人植村佐平次らが、四国・淡路の採集を終え、当薬草園を訪れ指導を行った(尾鷲見聞闕疑集)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by