20世紀日本人名事典 「藤井宣正」の解説
藤井 宣正
フジイ センショウ
明治期の仏教学者,僧侶(浄土真宗本願寺派)
- 生年
- 安政6年3月2日(1859年)
- 没年
- 明治36(1903)年6月6日
- 出生地
- 越後国三島郡本与板村光西寺(新潟県)
- 別名
- 号=愛楳仙史
- 学歴〔年〕
- 帝大文科大学哲学科(現・東大文学部)〔明治24年〕卒
- 経歴
- 光西寺住職の二男に生まれ、8歳で得度。上京し、島地黙雷に3年間仏典を学ぶ。明治24年大学卒業後、西本願寺文学寮の教授を経て、30年埼玉県立第一尋常中学(のちの浦和中学校)校長に就任。33年本願寺の命によりヨーロッパに留学。主にロンドンで教会制度、インド美術などの研究に携わり、35年大谷光瑞のインド仏蹟調査に参加。途次、マルセーユで死去した。広く内外の文献を考証する新研究法に基づいた仏教史学をうちたて、仏教聖跡調査と遺物研究によって当時未開の仏教考古学や仏教美術分野を開拓した。大正9年勧学を追贈。著書に「印度仏蹟調査報告」「仏教小史」(全2巻)「大蔵経冠字目録」、島地大等編「愛楳全集」(全1巻)など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報