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島地黙雷 しまじ もくらい

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美術人名辞典の解説

島地黙雷

浄土真宗の僧。周防生。大洲鉄然と萩に改正局を開いて真宗僧徒を教育。また西本願寺の依頼でヨーロッパ視察を行なう。政教分離信教の自由を主張し、神道に従属させられていた仏教の新生のために努力した。西本願寺執行。女子文芸学舎(千代田学園)を創立。明治44年(1911)寂、79才。

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デジタル大辞泉の解説

しまじ‐もくらい〔しまヂ‐〕【島地黙雷】

[1838~1911]浄土真宗本願寺派の僧。周防(すおう)の人。神仏分離、大教院廃止を主張、各宗独立に努力。また、日本赤十字社の創立などに活躍。著「仏教各宗綱要」「維摩経講義」など。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

島地黙雷【しまじもくらい】

浄土真宗本願寺派の僧。周防(すおう)出身。明治維新に際し,教部省の設置,神仏分離に努力。1871年,欧米およびインドをめぐりパリから〈三条教則批判〉などの建白書で祭政一致の政策を批判するなど宗教界の刷新,大教院廃止に努力。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島地黙雷 しまじ-もくらい

1838-1911 幕末-明治時代の僧。
天保(てんぽう)9年2月15日生まれ。浄土真宗。周防(すおう)(山口県)島地村の本願寺派妙誓寺の住職となり,島地姓を名のる。大洲鉄然(おおず-てつねん)とともに宗門改革に参加。ヨーロッパ視察後,政府に信教の自由,政教分離を提言し,神道国教化をすすめる大教院を解散に追いこむ。明治27年勧学にすすみ,教育・社会事業にもつくした。明治44年2月3日死去。74歳。周防出身。姓ははじめ清水。名は謙致(けんち)。号は益渓,縮堂など。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

しまじもくらい【島地黙雷】

1838‐1911(天保9‐明治44)
真宗西本願寺派の政僧。周防国(山口県)和田村専照寺に生まれ,28歳で島地村妙誓寺に入寺した。1866年(慶応2)大洲鉄然(おおずてつねん)とともに萩に改正局を設け防長2州の真宗子弟の教育に当たり,68年(明治1)赤松連城らと西本願寺改革を建議,奏功した。72年本願寺連枝梅上沢融らとヨーロッパを視察し翌73年帰朝したが,留守中に政府が国民指導原則として推進していた〈三条教則〉の批判を建白し,神道的な教導職養成機関大教院からの仏教各宗離脱運動を進めた。

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大辞林 第三版の解説

しまじもくらい【島地黙雷】

1838~1911) 浄土真宗本願寺派の僧。山口県の人。神仏分離、大教院制の廃止を主張し、仏教各宗の近代的独立のために尽力した。また、日本赤十字社の創設にも貢献。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

島地黙雷
しまじもくらい

[生]天保9(1838).周防
[没]1911.2.3. 東京
江戸時代末期から明治を通じての仏教界の重鎮。浄土真宗本願寺派の僧。初め謙致,益渓,縮堂,北峰,六々道人と号した。幼時より仏教と儒学を学び,元治1 (1864) 年,萩藩の火葬禁止に反対した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島地黙雷
しまじもくらい
(1838―1911)

幕末、明治期の浄土真宗本願寺派の僧。幼名謙致(けんち)。益渓(えきけい)、縮堂(しゅくどう)、雨田(うでん)、北峯(ほくほう)、六六道人(ろくろくどうじん)と号した。周防(すおう)国佐波(さば)郡和田村(山口県周南(しゅうなん)市)専照寺、清水円随(えんずい)(本願寺派勧学)の四男に生まれ、のち同派の島地村(現山口市徳地(とくぢ)島地)妙誓寺に入寺して島地姓となる。幼くして萩城学校に学び、肥後(熊本県)光照寺の原口針水(しんすい)に師事して真宗学、仏教学を学んだ。1866年(慶応2)春、大洲鉄然(おおずてつねん)と謀り、萩(はぎ)に学校を設けて長門(ながと)・周防の真宗寺院の徒弟を教育する。1868年(明治1)上洛(じょうらく)して本派本願寺の改革を建議し、71年東京・神田今川小路に日新堂を開き『新聞雑誌』を刊行。1872年1月梅上沢融(うめがみたくゆう)に従って渡欧し、海外の宗教事情を視察し、7月に帰国。1873年神仏合同大教院分離運動に着手し、大教院を崩壊に導く。本派本願寺の執行長(しぎょうちょう)を務める一方、1888年女子文芸学舎(千代田女学園の前身)を開設。また、日本赤十字社の設立に参与した。著書に『三国仏教略史』全3巻、『仏教各宗綱要』がある。[池田英俊]
『千代田女学園編・刊『島地黙雷上人』(1960) ▽『島地黙雷全集』全5巻(1973~78・本願寺出版協会) ▽川村覚昭著『島地黙雷の教育思想研究――明治維新と異文化理解』(2004・法蔵館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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