ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イブヌル・ジャウジー」の意味・わかりやすい解説
イブヌル・ジャウジー
Ibn al-Jawzī, `Abd al-Raḥmān ibn `Alī
[没]1200. バグダード
アラブの法学者,史家,説教者。イスラム法学中最もピューリタン的学説に立つハンバル派を代表し,特に神秘主義 (スーフィズム) を激しく攻撃した。イスラム教義についてのみでなく,医学,占星術,哲学その他の諸方面の著述もおびただしく,アラブの著作家中,たぐいまれな多くの著作を残し,その数は 1000をこえたともいわれている。思想界の巨頭として声望が高く,その全盛時代 (1178/9頃) には5つの大学 (マドラサ) を支配し,重要著作は 150編に達していた。晩年逮捕され (94) ,ワーシト市に幽閉されたが,5年後に釈放されてバグダードに帰り,まもなく死んだ。著作中『ムンタザム』 Muntaẓam (秩序の意) という史書は 871~1179年のアッバース朝史として高い評価を受けている。彼の娘の子であるイブヌル・ジャウジー Sibṭ ibn al-Jawzī,Shams al-Dīn Abū al-Muẓaffar (1185/6~1286) は祖父の死後ダマスカスに住み,これまた説教者,史家として知られた。彼の『時代の鏡』 Mir'āt al-zamānという大部の世界史は,十字軍の来襲などをも含む新しい部分が特に重視されているが,惜しいことに一部分しか発見されていない。
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