藤原利三郎(読み)フジワラ リサブロウ

20世紀日本人名事典 「藤原利三郎」の解説

藤原 利三郎
フジワラ リサブロウ

明治〜昭和期の果樹園芸家 リンゴ品種平鹿ゴールデンの生みの親



生年
明治1年11月1日(1868年)

没年
昭和10(1935)年5月9日

出生地
出羽国(秋田県雄勝郡)

旧姓(旧名)
茂木

経歴
秋田における養蚕振興の先覚者茂木亀六の六男として生まれ、18歳の時に藤原家の養子となる。果樹栽培視察のため山形に赴き、リンゴの苗を得て帰郷、さっそく私有杉林を切り開き、持ち帰った苗を植えた。明治34年秋田県増田町にリンゴ園を造成し、本格的な栽培を開始。のち、徐々にリンゴ栽培業者が増えると、組合組織を結成して栽培・販売の合理化をはかった。大正10年には豊作を機にリンゴの値崩れ防止のため、貯蔵庫を建造。12年黄色のリンゴ・ゴールデンデリシャスが輸入されると、これをいち早く導入して平鹿ゴールデンの栽培に成功。その栽培を奨励したため、間もなく同品は平鹿の特産品となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原利三郎」の解説

藤原利三郎 ふじわら-りさぶろう

1868-1935 明治-昭和時代前期の果樹園芸家。
明治元年11月1日生まれ。茂木亀六(もてぎ-かめろく)の子。明治34年秋田県平鹿郡増田町でリンゴの栽培をはじめる。大正12年ゴールデンデリシャスを導入し,「平鹿ゴールデン」の生みの親となった。昭和10年5月9日死去。68歳。出羽(でわ)雄勝郡(秋田県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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