藤原吉子(読み)ふじわらのきっし

朝日日本歴史人物事典 「藤原吉子」の解説

藤原吉子

没年大同2(807)
生年:生年不詳
奈良時代末・平安前期,桓武天皇夫人。父は右大臣藤原南家是公。延暦2(783)年無位から従三位に叙せられ,夫人となる。彼女の生んだ伊予親王天皇の第3皇子で,政治的能力に優れ天皇の信頼も厚かったが,大同2(807)年彼を帝位につけようという藤原氏の陰謀にのせられ反逆首謀者とされ,母吉子も捕らえられて大和川原寺に幽閉された。ともに服毒自殺を遂げ,当時の人々の同情を集めたという。その後,弘仁10(819)年に夫人の号を復し,承和6(839)年9月従三位,同年10月にはその祟りを恐れて,さらに従二位が贈られている。<参考文献>古代学協会編『桓武朝の諸問題』

(菅原征子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原吉子」の解説

藤原吉子 ふじわらの-きっし

?-807 平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の夫人(ぶにん)。
南家藤原是公(これきみ)の娘。延暦(えんりゃく)2年(783)従三位となり,入内(じゅだい)して伊予(いよ)親王を生む。大同(だいどう)2年藤原仲成の陰謀により,母子ともに大和(奈良県)川原寺に幽閉され,同年11月12日服毒自殺。従二位を追贈され,母子の怨霊(おんりょう)をおそれた歴代天皇からあつく慰霊された。名は「よしこ」ともよむ。

藤原吉子 ふじわらの-よしこ

ふじわらの-きっし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原吉子の言及

【伊予親王】より

…平安初期の官人。桓武天皇の皇子,母は藤原吉子。792年(延暦11)に加冠し,三品式部卿,中務卿,大宰帥を歴任。…

※「藤原吉子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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