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福島県河沼郡柳津町にある臨済宗妙心寺派の寺。霊巌山と号す。日本三虚空蔵の第一。法相宗の碩学徳一(とくいち)が大同年間(806-810)に開いたという古刹。徳一は会津を拠点とし,最澄との激しい論争で知られた名僧で,福島地方には恵日(えにち)寺をはじめ徳一の開基を伝える寺が少なくない。本尊福満虚空蔵菩薩は空海の作と伝えられる。1384年ごろ会津若松市興徳寺の大圭が中興し臨済宗に改まったが,その後蒲生秀行が領主のとき真言宗に転じ,加藤嘉明の領主時代ふたたび臨済宗に復帰した。歴代領主の崇敬あつく,寺領200石を有していた。1616年(元和2),篤信の蒲生秀行夫人によって只見川に面する断崖に舞台造りの本殿が建立された。正月7日夜に七日堂で行われる〈裸祭〉は有名。
執筆者:長谷川 匡俊
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福島県河沼(かわぬま)郡柳津(やないづ)町にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。霊巌山(れいがんざん)と号する。日本三大虚空蔵(こくうぞう)の一つで、通称「柳津虚空蔵」といわれる。本尊の福満虚空蔵菩薩(ぼさつ)は弘法(こうぼう)大師空海の作と伝えられる。807年(大同2)徳一を開基として創建された。初めは菊光堂(きっこうどう)といい、法相(ほっそう)宗に属していたが、1384年(元中1・至徳1)大圭(たいけい)が中興して臨済宗に改めた。1570年(元亀1)原源和尚(おしょう)のとき織田信長の保護により金色燦然(さんぜん)とした堂塔を再建、俗に「光堂」とよばれるようになった。
境内には国の重要文化財指定の奥之院弁天堂のほか、本堂、供所、仁王(におう)門、水殿、庫裏(くり)、宝蔵、鐘楼などがある。正月7日に行われる七日堂裸まいりは有名。
[菅沼 晃]
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