藤原基隆(読み)ふじわらのもとたか

改訂新版 世界大百科事典 「藤原基隆」の意味・わかりやすい解説

藤原基隆 (ふじわらのもとたか)
生没年:1075-1132(承保2-長承1)

平安後期の廷臣。関白道隆の末流,大膳大夫家範の長男。初名家政。母は堀河天皇の乳母伊予三位藤原家子。1094年(嘉保1)美作守に任ぜられてから,播磨,伊予,讃岐等の大国の守に在任すること36年,その間,重任,遷任等の功をもって多くの仏寺,殿邸を造立した。白河鳥羽両院別当として活躍した典型的な院司受領であるが,一方,乳母子(めのとご)として堀河天皇に近習奉仕した。1130年(大治5)修理大夫となり,従三位に昇ったが,翌々年没した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原基隆」の解説

藤原基隆 ふじわらの-もとたか

1075-1132 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
承保(じょうほう)2年生まれ。大膳大夫(だいぶ)藤原家範の長男。母は堀河天皇の乳母藤原家子。播磨(はりま),伊予(いよ)などの国守歴任。大治(だいじ)5年(1130)修理大夫,従三位となる。白河,鳥羽(とば)両院の別当として活躍した。天承2年3月21日死去。58歳。

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