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藤原基隆 ふじわらの もとたか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原基隆 ふじわらの-もとたか

1075-1132 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
承保(じょうほう)2年生まれ。大膳大夫(だいぶ)藤原家範の長男。母は堀河天皇の乳母藤原家子。播磨(はりま),伊予(いよ)などの国守を歴任。大治(だいじ)5年(1130)修理大夫,従三位となる。白河,鳥羽(とば)両院の別当として活躍した。天承2年3月21日死去。58歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原基隆

没年:長承1.3.19(1132.4.6)
生年:承保2(1075)
平安後期の公卿。大膳大夫藤原家範と常陸介藤原家房の娘堀河天皇乳母家子の子。本名家政。寛治2(1088)年叙爵後,左兵衛佐,内蔵頭,大膳大夫,修理大夫を歴任,また美作・播磨・伊予等の白河院分国の受領に数次にわたり任ぜらる。院御所・御願寺造営により,白河院政の経済的基盤を支えた,典型的近臣受領のひとりである。三条大宮に有した邸宅には,しばしば院行幸が行われた。白河法皇没後は,鳥羽院の院司となる。大治5(1130)年非参議従三位で公卿に昇り,天承2(1132)年1月出家。<参考文献>河野房男『平安末期政治史研究』

(上杉和彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのもとたか【藤原基隆】

1075‐1132(承保2‐長承1)
平安後期の廷臣。関白道隆の末流,大膳大夫家範の長男。初名家政。母は堀河天皇の乳母伊予三位藤原家子。1094年(嘉保1)美作守に任ぜられてから,播磨,伊予,讃岐等の大国の守に在任すること36年,その間,重任,遷任等の功をもって多くの仏寺,殿邸を造立した。白河,鳥羽両院の別当として活躍した典型的な院司受領であるが,一方,乳母子(めのとご)として堀河天皇に近習奉仕した。1130年(大治5)修理大夫となり,従三位に昇ったが,翌々年没した。

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