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藤原宗長 ふじわらの むねなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原宗長 ふじわらの-むねなが

1164-1225 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
長寛2年生まれ。藤原頼経の長男。文治(ぶんじ)5年(1189)源義経にくみした父とともに配流された。のちゆるされて刑部卿となり,建保(けんぽ)2年(1214)従三位。蹴鞠(けまり)の名手で難波(なんば)流をおこし,弟雅経の飛鳥井(あすかい)流とともに2大流派となった。嘉禄(かろく)元年8月26日死去。62歳。

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世界大百科事典内の藤原宗長の言及

【蹴鞠】より

…〈しゅうきく〉ともいう。足で皮製の鞠(まり)を一定の高さにけあげて,墜落させることなく,正格な動作でける回数の多いのを優秀とする古典的な遊戯。すでに7世紀の半ば,中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が法興寺のツキ(槻)の木の下で鞠をけった話は有名であるが,12世紀ころから盛大になって,設備や技術の上にも一定の形式ができ,蹴鞠道としての完成をみるとともに,この種の芸道に関してはすべて技芸の中心的指導者による独占的家業として伝えられた。…

【難波家】より

…藤原氏北家花山院の流れ。摂政太政大臣師実の五男の正二位大納言忠教を祖とする。その子頼輔は蹴鞠(けまり)に秀で,〈本朝蹴鞠一道長〉などと称された。頼輔の子頼経は源義経に党して伊豆に流されたが,その子宗長は蹴鞠の達人として難波流の祖となり,弟雅経も飛鳥井流の祖となった。鎌倉時代を通じて名手が出,とりわけ宗緒はわずか14歳で天皇の師範を務めたほどであった。南北朝期の宗富の没後に家が断絶したが,江戸時代の初め,飛鳥井雅庸の次男宗勝が入って家名を再興した。…

※「藤原宗長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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