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藤原家忠 ふじわらの いえただ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原家忠 ふじわらの-いえただ

1062-1136 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
康平5年生まれ。藤原師実(もろざね)の次男。母は源頼国の娘。永保2年(1082)参議。天承元年(1131)左大臣,従一位となる。保安元年(1120)藤原忠実が白河法皇に内覧をとめられたとき,その後任にあげられたが実現しなかった。邸宅花山院をうけつぎ,花山院左大臣と称される。花山院家の祖。保延(ほうえん)2年5月14日死去。75歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原家忠

没年:保延2.5.24(1136.6.25)
生年:康平5(1062)
平安末期の公卿。関白藤原師実と美濃守源頼国の娘の子。三位中将より永保2(1082)年に参議となり,翌年に権中納言左衛門督,皇后宮大夫,左右近衛大将を歴任して,保安3(1122)年右大臣となる。天承1(1131)年従一位左大臣に至るが,保延2(1136)年病により出家。花山院という邸宅に住んだことから花山院左大臣と号した。兄師通が康和1(1099)年に没したときには摂関家を継ぐ立場にもあったが,父師実から甥の忠実の補佐を命ぜられ,摂関家を助けた。保安1(1120)年忠実が白河上皇の勘気を被り蟄居したとき,その後任の案もあったが実現しなかった。摂家に次ぐ家格の清華家のひとつ花山院家の祖。没した日は14日とする説もある。

(渡辺晴美)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのいえただ【藤原家忠】

1061‐1136(康平4‐保延2)
平安後期の廷臣。藤原師実の次男。母は源頼国女。世に花山院左大臣と呼ばれ,子孫は花山院(花山院家)を称した。1099年(康和1)兄関白師通が死去したあと,関白になる機会があったが,父師実が師通の子忠実を後継ぎとしたので望みを失った。堀河天皇の信任をうけ,1103年右近衛大将を白河上皇の寵臣藤原宗通と争い,これを退けた。1120年(保安1)関白忠実が女泰子(高陽院)の入内に関して白河上皇の意志に背いたため内覧を停止されたとき,家忠がその候補に擬せられたが,上皇の側近藤原顕隆に,稲荷社祭礼の当日,家忠が酒宴乱行を行ったという風説をあげられ,阻まれた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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