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藤原師実 ふじわらのもろざね

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原師実
ふじわらのもろざね

[生]長久3(1042).京都
[没]康和3(1101).2.13. 宇治
平安時代後期の廷臣。頼通の6男。母は因幡守藤原種成の娘祇子。養女賢子が白河天皇の中宮,堀河天皇の母となったので,承保2 (1075) 年叔父教通の死によって内覧,氏長者,次いで関白,応徳3 (86) 年堀河天皇の即位とともに摂政,寛治2 (88) 年太政大臣,同4年関白となった。

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百科事典マイペディアの解説

藤原師実【ふじわらのもろざね】

平安後期の高官。藤原頼通の子,母は藤原祇子。京極殿ともいう。1069年左大臣,1075年関白・氏長者となる。源師房女麗子を室とし,師房孫賢子を養女とするなど,村上源氏との結びつきを強め,賢子は白河天皇中宮として善仁親王(堀河天皇)の生母となった。
→関連項目木幡藤原為房藤原師通

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原師実 ふじわらの-もろざね

1042-1101 平安時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
長久3年生まれ。藤原頼通(よりみち)の3男。母は藤原祇子(ぎし)。承保(じょうほう)2年(1075)叔父藤原教通(のりみち)の没後,関白,氏長者となる。養女の賢子を白河天皇の中宮(ちゅうぐう)とし,その子堀河天皇の摂政,太政大臣,関白を歴任。従一位。有職(ゆうそく),和歌,音楽に通じた。康和3年2月13日死去。60歳。通称は京極殿,後宇治殿。家集に「京極関白集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原師実

没年:康和3.2.13(1101.3.14)
生年:長久3(1042)
平安後期の公卿。号は京極殿,後宇治殿。摂政・関白頼通と贈従二位藤原祇子の子。権中納言,権大納言,内大臣,右大臣を経て延久1(1069)年左大臣。承保2(1075)年叔父教通の死去により関白。妻源麗子の姪賢子を養女として東宮(白河天皇)妃に入れ,賢子は善仁親王(堀河天皇)を生む。堀河天皇即位(1086)後師実は摂政,太政大臣,関白となる。白河院政に協力的だった。嘉保1(1094)年嫡子師通に関白を譲り,彼の急逝後はその子忠実を後見。有職故実・詩歌・音楽・書に優れる。日記『京極関白記』,歌集『京極関白集』がある。

(吉田早苗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのもろざね【藤原師実】

1042‐1101(長久3‐康和3)
平安後期の廷臣。関白頼通の子。京極殿ともいう。1053年(天喜1)元服後急速に昇進し,69年(延久1)左大臣。75年(承保2)叔父関白教通が没すると関白・氏長者となった。86年(応徳3)堀河天皇が即位すると摂政となった。88年(寛治2)太政大臣(翌年辞任)。90年関白となり,94年(嘉保1)関白辞任。1101年出家し没した。村上源氏の源師房女を室とし,養女賢子(師房孫,顕房の子)は白河天皇中宮として堀河天皇の生母となった。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのもろざね【藤原師実】

1042~1101) 平安末期の廷臣。頼通の子。通称、京極殿。養女賢子の生んだ堀河天皇が即位すると摂政、次いで太政大臣・関白となった。和歌・琴に秀で、日記「京極関白記」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原師実
ふじわらのもろざね
(1042―1101)

平安後期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)頼通(よりみち)の三男。母は因幡守(いなばのかみ)藤原種成(たねしげ)の女(むすめ)祇子(きし)。1055年(天喜3)従三位(じゅさんみ)となり、69年(延久1)左大臣、75年(承保2)叔父教通(のりみち)の死去により白河(しらかわ)天皇の関白となる。86年(応徳3)養女賢子の産んだ堀河(ほりかわ)天皇の即位で摂政(せっしょう)となり、88年(寛治2)太政(だいじょう)大臣、90年に摂政から関白にかわる。94年(嘉保1)長男師通(もろみち)に関白を譲り、1101年(康和3)正月病気のため宇治(うじ)の別荘で出家し(法名法覚)、2月13日没した。京極殿(きょうごくどの)、後宇治殿(のちのうじどの)とよばれた。摂関の時期、白河天皇の勢力拡大に抵抗せず、院政成立の一つの要因となった。詩歌音楽に秀(すぐ)れ、日記に『京極関白記』、家集に『京極前関白集』などがある。[吉田早苗]

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