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平安後期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)頼通(よりみち)の三男。母は因幡守(いなばのかみ)藤原種成(たねしげ)の女(むすめ)祇子(きし)。1055年(天喜3)従三位(じゅさんみ)となり、69年(延久1)左大臣、75年(承保2)叔父教通(のりみち)の死去により白河(しらかわ)天皇の関白となる。86年(応徳3)養女賢子の産んだ堀河(ほりかわ)天皇の即位で摂政(せっしょう)となり、88年(寛治2)太政(だいじょう)大臣、90年に摂政から関白にかわる。94年(嘉保1)長男師通(もろみち)に関白を譲り、1101年(康和3)正月病気のため宇治(うじ)の別荘で出家し(法名法覚)、2月13日没した。京極殿(きょうごくどの)、後宇治殿(のちのうじどの)とよばれた。摂関の時期、白河天皇の勢力拡大に抵抗せず、院政成立の一つの要因となった。詩歌音楽に秀(すぐ)れ、日記に『京極関白記』、家集に『京極前関白集』などがある。
[吉田早苗]
平安後期の廷臣。関白頼通の子。京極殿ともいう。1053年(天喜1)元服後急速に昇進し,69年(延久1)左大臣。75年(承保2)叔父関白教通が没すると関白・氏長者となった。86年(応徳3)堀河天皇が即位すると摂政となった。88年(寛治2)太政大臣(翌年辞任)。90年関白となり,94年(嘉保1)関白辞任。1101年出家し没した。村上源氏の源師房女を室とし,養女賢子(師房孫,顕房の子)は白河天皇中宮として堀河天皇の生母となった。日記《京極関白記》はごく一部を伝える。
執筆者:黒板 伸夫
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(吉田早苗)
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1042.2.-~1101.2.13
京極殿・後宇治殿とも。平安後期の公卿。関白頼通の三男。母は藤原祇子。1056年(天喜4)非参議から権中納言となり,内大臣・右大臣・左大臣を歴任。1075年(承保2)白河天皇の関白,86年(応徳3)堀河天皇の摂政となる。88年(寛治2)太政大臣,翌年辞任。90年関白。養女賢子(源顕房の女)は白河天皇中宮として堀河天皇を生んだ。日記「京極関白記」は逸文のみ。
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