朝日日本歴史人物事典 「藤原惟成」の解説
藤原惟成
生年:天暦7(953)
平安中期の官人。法名は寂空(悟妙とも)。正五位上。蔵人雅材と摂津守藤原中正の娘の子。母が花山天皇の乳母であったことから永観2(984)年,天皇の即位と同時に蔵人に任命され,外戚の藤原義懐を補して政治を推進した。しかし「内おとりの外めでた」と評された狂疾な天皇が2年後に突然,出家,退位したため義懐と共に出家した。糟糠の妻を捨て源満仲の婿になったことを恨んだ旧妻が惟成が乞食になるよう祈ったところ,現実となり,旧妻から物を施されたという話が『古事談』にある。詩や和歌をよくした。<参考文献>鮎沢寿「藤原惟成とその妻」(『史峯』3)
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報