藤原義懐(読み)ふじわらのよしちか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原義懐」の意味・わかりやすい解説

藤原義懐
ふじわらのよしちか
(957―1008)

平安中期の公卿(くぎょう)。摂政伊尹(せっしょうこれただ)の子。冷泉(れいぜい)天皇の女御(にょうご)であった妹懐子(かいし)所生の師貞(もろさだ)親王花山(かざん)天皇)が、984年(永観2)に即位するや蔵人頭(くろうどのとう)となった。さらに天皇の外叔父という関係でもって翌年に権中納言(ごんちゅうなごん)に進み、蔵人・権左中弁の藤原惟成(これなり)の協力のもと政治を推進し、天皇と姻戚(いんせき)関係のない左右大臣ら上位をしのぐ勢力を得た。しかし、それもつかのまのことで、986年(寛和2)藤原兼家(かねいえ)らの計略によって花山天皇出家するに及んで、これに従って出家し、名を寂真(じゃくしん)と改めた。

[朧谷 寿]

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朝日日本歴史人物事典 「藤原義懐」の解説

藤原義懐

没年寛弘5.7.17(1008.8.20)
生年:天徳1(957)
平安中期の公卿。法名は悟真(のち寂真)。従二位。摂政伊尹と恵子女王(代明親王の娘)の子。5男。懐子の弟。永観2(984)年,甥の花山天皇(母が懐子)の即位にともない蔵人頭に任じられ,翌年参議,権中納言に進んだ。「国ノ政ハオサヘテ義懐(が)ヲコナ」(『愚管抄』)ったといわれたように,天皇の外戚として,敏腕の左中弁藤原惟成と共に荘園整理など新政をおし進めたが,天皇が在位3年目で出家,譲位したことで義懐も出家,仏門生活は23年におよんだ。無学だが賢才といわれた。

(朧谷寿)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原義懐」の解説

藤原義懐 ふじわらの-よしちか

957-1008 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
天徳元年生まれ。藤原伊尹(これただ)の5男。母は恵子女王。姉懐子が生んだ花山天皇の即位で蔵人頭(くろうどのとう)となり,寛和(かんな)元年(985)参議,同年従二位,権(ごんの)中納言となる。外戚(がいせき)として,近臣の藤原惟成(これしげ)とともに天皇を補佐した。2年天皇の突然の出家,退位により,即日出家。寛弘(かんこう)5年7月17日死去。52歳。法名は寂真。

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