朝日日本歴史人物事典 「藤原成通」の解説
藤原成通
生年:承徳1(1097)
平安時代の公卿,歌人。初名は宗房。法名栖蓮。権大納言宗通の4男。母は藤原顕季の娘。宗通とその一家は白河院の近臣として権勢を誇り,成通も幼少より白河法皇や待賢門院璋子に近仕,法皇に愛された。侍従,蔵人,左中将を経て参議,正二位となり,保元1(1156)年大納言に至る。平治1(1159)年出家。翌永暦1(1160)年64歳での生存が知られる。才芸豊かな公卿として有名で,詩歌,笛,今様などに秀で,有職故実に通じていた。また上流貴族でありながら馬,早業に優れ,特に蹴鞠は名人として知られる。『成通卿口伝日記』はその著かとされており,鞠道成立の端緒を開いた。歌人としては「中宮亮顕輔歌合」など多くの歌合,歌会に出詠,家集『成通集』があり,生活においての感懐が多い。『金葉集』以下の勅撰集に23首入集,西行とも親しかった。『今鏡』や『発心集』などによれば,思いやりのある温かな人柄であった。その出家も俗世の煩わしさを厭い,求道心深く素懐を遂げたものらしい。<参考文献>井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』
(田渕句美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報