平安時代の歌人、漢詩人。正二位民部卿(きょう)道方の六男、母は播磨守(はりまのかみ)源国盛の女(むすめ)で歌人。歌人俊頼(としより)の父。廷臣として六朝に仕え、1094年(嘉保1)正(しょう)二位大納言(だいなごん)に大宰権帥(だざいのごんのそち)を兼ねたが、1097年(承徳1)閏(うるう)正月6日任地に没した。82歳。『十訓抄(じっきんしょう)』『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』は、三船(さんせん)(詩、歌、管絃(かんげん))の才を賛美する。詩文は、『本朝無題詩』『中右記部類紙背漢詩集』に25首の詩、『本朝続文粋(もんずい)』『朝野群載』『本朝文集』に4編の文章、家記『帥記(そっき)』を残し、和歌は、『後拾遺集』以下の勅撰(ちょくせん)集に85首、家集『大納言経信集』を残し、『後拾遺集』を批判した『難後拾遺』を著す。藤原公任(きんとう)や能因(のういん)法師、和歌六人党の歌人たちの理念や方法を継承して、中世的な晴の歌(宮廷詩)の理論と詠法を完成させた歌人として和歌史上注目されている。
[上野 理]
『上野理著『後拾遺集前後』(1976・笠間書院)』▽『金原理著『源経信』(『中古文学と漢文学Ⅱ』所収・1987・汲古書院)』
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(朧谷寿)
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…《十巻本歌合》と通称される。近世以来《伝宗尊(むねたか)親王筆歌合巻》と呼ばれていたが,その成立ははるかに古く,関白藤原頼通(よりみち)が主宰し,源経信が監修した史上初の歌合証本集成事業であることが,1938年(昭和13)近衛家文書の中からその総目録が発見されるにおよんで判明した。20巻本の《類聚歌合》の全貌が解明されたのも同じ時の発見による。…
…作者不詳。近代以前に藤原為業,同能信,近代になっても,源経信,同俊明,同俊房らを作者に擬する諸説が出されたが,いずれも,これほどのものを書く能力をもつ人物はだれか,というところからの推測である。書中に,〈今年,万寿二年乙丑(きのとうし)とこそは申すめれ〉の文があり,作中人物の官位などもよく合っているので,久しく1025年(万寿2)成立と信じられていたが,ごく少数の点でくいちがいがあり,万寿2年は作者のフィクションの設定と見られるようになっている。…
…伝統的な発想や表現をうけながら,新しい言葉を機知的に用いようとする新風への意欲がみられる。通俊以上に撰者の資格があると評された当代の代表歌人源経信(つねのぶ)は,勅撰集に対するはじめての批判である《難後拾遺》を書いて反駁し,やすきについて的確な表現の乏しくなったことを非難した。【藤岡 忠美】。…
…大納言兼大宰権帥源経信の日記。記名は〈大宰権帥〉にもとづくが,〈帥〉の唐名〈都督〉によって《都記》ともいい,また《経信卿記》と称する。…
…1086年(応徳3)白河天皇の勅命により《後拾遺和歌集》を撰集して奏覧した。当時の歌界に重きをなした源経信,大江匡房をさしおいての撰者任命は,天皇の近臣ゆえのにおいもあって非難を浴び,源経信《難後拾遺》によって通俊の撰集は低く評価された。経信への答えは《後拾遺問答》にうかがわれるが,通俊の立場は機知的なおもしろさを志向する新風の主張にあって,経信の求める格調の高さと異なるものであった。…
※「源経信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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