朝日日本歴史人物事典 「藤原敦宗」の解説
藤原敦宗
生年:長久3(1042)
平安時代後期の学者,漢詩人。藤原北家日野流の藤原実政の子。寛治2(1088)年父の流罪に連座して官職を解かれるが10年後に復帰,大学頭,式部権大輔など,学者としての栄誉をきわめ,丹波守在任中に没した。藤原宗忠は日記『中右記』に「才智頗る傍輩に勝る。名儒と謂うべし」(天永2.9.18条,原漢文)と書いている。確かに日野流の学統を伝えた学者ではあったが,同時代の藤原敦基や大江匡房に比べるとやや見劣りするか。『本朝無題詩』『本朝続文粋』などに漢詩文作品が少数ながら収められている。
(堀川貴司)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報