朝日日本歴史人物事典 「藤原歓子」の解説
藤原歓子
生年:治安1(1021)
平安時代後期の後冷泉天皇皇后。小野后。「よしこ」とも。藤原教通と藤原公任娘の子。永承2(1047)年に入内。小柄で愛敬があり,琵琶をよくし,絵が上手で,特に男絵は絵師顔負けの腕前だった。永承3年女御となり,翌年皇子を死産。永承6年准三宮となる。治暦4(1068)年病に臥した天皇は4月16日に歓子を立后し,19日に死亡した。夫の死後,以前から滞在することのあった小野に堂舎を建て隠棲し,ひたすら仏法に専心した。康和4(1102)年5月ごろから病気がちになり,ひたすらに念仏を修し,西に向かって亡くなったという。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報