藤原比古神社
ふじわらひこじんじや
[現在地名]宮古市藤原三丁目
藤原地区の中西部山中に鎮座。もとは藤明神と称し、音羽姫を祀るという。もと藤原町のほぼ中央、民家の中にあったが、昭和二〇年(一九四五)の戦火、同二三年の洪水と、二度の災禍にあい現在地に遷宮。閉伊頼基の妻で佐々木四郎高綱の娘という音羽姫は、藤花を愛し津軽石村藤畑から白藤一株をこの地に移し植えたと伝え、藤原の地名はこれによるという。その後、藤は繁茂して大木となり、里人は神藤として尊崇、毎年開花の多少によってその年の吉凶を占う習慣があったが、明治二九年(一八九六)の津波にあい枯死した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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