朝日日本歴史人物事典 「藤原相如」の解説
藤原相如
生年:生年不詳
平安時代の歌人。藤原助信と和泉守俊連の娘の子。権中納言敦忠の孫。六位蔵人を経て正五位下出雲守に至る。のちに,粟田殿藤原道兼の家司となるが,その死去に遭い,悲しみのあまり慕死した話が『栄花物語』『十訓抄』などに記されている。『詞花集』以下の勅撰集に,道兼を偲ぶ歌「夢ならでまたもあふべき君ならばねられぬ寝をもなげかざらまし」をはじめ7首が入集。家集に『相如集』がある。後宮での女性達との贈答,社交的贈答の歌が多い。掛詞,縁語を多用し,歌枕を詠み込むなど古今集的修辞を駆使して,即興的な歌を詠む才にたけた歌人である。<参考文献>福井迪子『一条朝文壇の研究』
(中周子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報