朝日日本歴史人物事典 「藤原縄主」の解説
藤原縄主
生年:天平宝字4(760)
平安初期の公卿。参議蔵下麻呂と粟田馬養の娘の長子。薬子の変(810)の張本人藤原薬子の夫。「性,酒を好むといえども職掌闕くる無し」といい,恩義に厚く,親族からも慕われたという(『公卿補任』)。大同3(808)年,大宰府(太宰府市)の長官として赴任中,すでに給料は受け取っているとして兼任の西海道観察使の俸禄を辞退したというから,典型的なまじめ人間であったようで,それが薬子の不満をもたらしたか。薬子の事件後,責任を問われた形跡がないのもうなずける。天長1(824)年,従二位を追贈された。<参考文献>瀧浪貞子『平安建都』
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報