藤原縄主(読み)ふじわらのただぬし

朝日日本歴史人物事典 「藤原縄主」の解説

藤原縄主

没年弘仁8.9.16(817.10.29)
生年天平宝字4(760)
平安初期の公卿参議蔵下麻呂と粟田馬養の娘の長子。薬子の変(810)の張本人藤原薬子の夫。「性,酒を好むといえども職掌闕くる無し」といい,恩義に厚く,親族からも慕われたという(『公卿補任』)。大同3(808)年,大宰府(太宰府市)の長官として赴任中,すでに給料は受け取っているとして兼任の西海道観察使の俸禄を辞退したというから,典型的なまじめ人間であったようで,それが薬子の不満をもたらしたか。薬子の事件後,責任を問われた形跡がないのもうなずける。天長1(824)年,従二位を追贈された。<参考文献>瀧浪貞子『平安建都』

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原縄主」の解説

藤原縄主 ふじわらの-ただぬし

760-817 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平宝字(てんぴょうほうじ)4年生まれ。式家藤原蔵下麻呂(くらじまろ)の長男。母は粟田馬養(あわたの-うまかい)の娘。延暦(えんりゃく)17年(798)参議。式部大輔(たいふ),大宰帥(だざいのそち)などを歴任し,弘仁(こうにん)3年中納言兼兵部卿。従三位。藤原薬子(くすこ)の夫だったが,薬子の変には連座していない。弘仁8年9月16日死去。58歳。贈従二位。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android