朝日日本歴史人物事典 「藤原良世」の解説
藤原良世
生年:生年不詳
平安前期の公卿。冬嗣と大庭女王の子。良房の異母弟。「つきよ」「つぎよ」とも。文徳朝に右兵衛佐,左近衛少将などを歴任し,清和朝に参議から中納言,陽成朝に大納言,右大臣へと進み,寛平8(896)年7月左大臣に昇進。しかし同12月に致仕し「致仕大臣」と呼ばれた。この間寛平3年に没した藤原基経のあとを受けて氏長者となる。没する5カ月前,『興福寺縁起』を選進し,同寺長講会の費用として備前国鹿田荘(岡山市南部)の地子米を施入しているのは一族の長としての責任からだろう。没した日に従一位を追贈。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報