公営田(読み)クエイデン

デジタル大辞泉 「公営田」の意味・読み・例文・類語

くえい‐でん【公営田】

《「こうえいでん」とも》
律令制で、官田公田などを農民徭役ようえきで耕作させ、収穫物は国家の所有としたもの。→私営田
平安初期、大宰府管下で行われた直営田良田1万余町を壮丁に耕作させ、必要経費を差し引いた残部を国家に納めさせた。

こうえい‐でん【公営田】

くえいでん(公営田)

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「公営田」の意味・読み・例文・類語

くえい‐でん【公営田】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 国家機関が経営する田地。官田、諸司田勅旨田など。徭役労働によって耕作し、必要経費を差引いた収穫は国家の所有となるのが原則。⇔私営田(しえいでん)
  3. 平安初期、大宰府管内で大規模に実施された営田。管内九国の口分田、乗田のうち良田一万二千町余を割き、調庸を免除し、徭役労働によって五人ずつに一町を耕作させた。必要経費を除いた収穫を官の所有とした。こうえいでん。〔三代格‐一五・弘仁一四年(823)二月二一日〕

こうえい‐でん【公営田】

  1. 〘 名詞 〙くえいでん(公営田)〔国民百科新語辞典(1934)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「公営田」の意味・わかりやすい解説

公営田 (くえいでん)

平安時代初期に行われた田制。広義には,私営田に対するものとして,官田,諸司田,勅旨田,公営田などの総称の意味で用いられるが,一般的用法ではない。狭義には,813年(弘仁4)の石見国,823年の大宰府管内,879年(元慶3)の上総国などの公営田をいうが,一般的にはその内容が比較的詳細にわかる大宰府管内公営田制をいう。大宰府管内公営田制とは,823年,ときの大宰大弐小野岑守の建策によって大宰府管内(九州)において行われた公営田制をいう。これは(1)管内9ヵ国の口分田および乗田の中から良田1万2095町をさき,それに徭丁6万0257人を投入して5人で1町を耕作させ,その中から有能な者を選んで1町以上を監督させて耕営し,(2)その収穫稲より必要経費(佃功,租料,調庸料,食料,修理溝池官舎料)を差し引いた108万0421束を納官し,もって財収増加をはかる,というプランである。ただし,大宰府がたてたプランではこの試みを30年間行うことになっていたのを,中央政府はそれを4年に限るなど,原案と実施案とでは若干の差異がある。この大宰府管内公営田制の主眼は,農民からの調庸(手工業生産物)の収取を停止し,その代りに稲(土地生産物)を手に入れ,その稲で手工業生産物を交易するというものであったが,その具体的意味づけに関しては異論がある。なお,その実施の具体的様相や終末などは明らかでない。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「公営田」の意味・わかりやすい解説

公営田
くえいでん

「こうえいでん」とも読む。(1)広義には私営田に対するものとして、官田、諸司田(しょしでん)、勅旨田(ちょくしでん)、公営田(狭義)などの総称の意味で用いられるが、これは一般的用法ではない。(2)狭義には、813年(弘仁4)の石見(いわみ)国、823年(弘仁14)の大宰府(だざいふ)管内(九州)、879年(元慶3)の上総(かずさ)国などの公営田をいうが、一般的には、その内容が比較的詳細にわかる大宰府管内公営田制をいう。

 大宰府管内公営田制は、823年、大宰大弐(だいに)小野岑守(みねもり)の建策によって大宰府管内において行われた。これは管内9か国の口分田(くぶんでん)および乗田(じょうでん)のなかから良田1万2095町を割き、それに徭丁(ようてい)6万0257人を投入して、5人で1町を耕作させ、そのなかから有能な者を選んで1町以上を監督させて耕営し、その収穫稲より必要経費を差し引いた108万0421束を納官し、財収増加を図る、というプランであった。ただし、大宰府の原案ではこの試みを30年間行うことになっていたのを、中央政府はそれを4年に限るなど、原案と実施案とでは若干の相違がある。この公営田制の主眼は、農民からの調庸(ちょうよう)(手工業生産物)の収取を停止し、そのかわりに稲(土地生産物)を手に入れ、その稲で手工業生産物を交易(交換)するというものであったが、その具体的意義づけに関しては異論がある。なお、その実施の具体的様相や終末などは不明である。

中野栄夫]

『中野栄夫著『律令制社会解体過程の研究』(1979・塙書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「公営田」の意味・わかりやすい解説

公営田【くえいでん】

〈こうえいでん〉とも。日本古代の田制。(1)広義には私営田に対するもので,官田・諸司田・勅旨田,狭義の公営田などの総称。(2)狭義の公営田は国司らが直営し,収穫から種子料,農民の食糧・日当・租税相当額などを除いて残余を国家の収入とした。813年石見(いわみ)国に設定。823年九州全土から1万2095町歩をさいて大宰府管内に設定,試験的に実施。その後関東,畿内にも拡大。当時の荘園経営方法にならい,律令財政再建を図った一施策だったが,直営から小作へという大勢に逆行するものであって,永続しなかったとみられる。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「公営田」の解説

公営田
くえいでん

9世紀に実施された国家直営田の一種。813年(弘仁4)に石見国,823年に大宰府管内,879年(元慶3)に上総国で行われたものが知られる。大宰府管内のものは大宰大弐小野岑守(みねもり)の建策で,管内の良田1万2095町を割き,徭丁(ようてい)6万257人を投入してその耕営にあたらせ,穫稲505万4120束から佃功・租料・調庸料・食料・修理溝池官舎料を差し引いた108万421束を納官し,財源の増加を図ったもの。正長(しょうちょう)には民間から有能な者が選ばれ,1町以上の田の管理を任された。徭丁の調庸は免除されるが,その分を公営田からの収穫で補っている点に,人頭税から土地税へという律令国家の基本体制の変化をみいだせる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「公営田」の解説

公営田
くえいでん

平安前期,大宰府管内に置かれた直営田
「こうえいでん」とも読む。極度の租税滞納に対処するため,823年大宰大弐小野岑守 (みねもり) の建議により行われた。管内の良田1万町歩を選び公営田とし,6万余人の徭丁を動員し耕作させた。種子などの諸経費は官が用意し,耕作者は調・庸などを免除されたが,収穫物は大宰府が取得した。

公営田
こうえいでん

くえいでん

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「公営田」の意味・わかりやすい解説

公営田
くえいでん

平安時代,国家財政の確保を目的とした官田。弘仁 14 (823) 年2月初めて大宰府管内で1万 2095町 (約1万 2000ha) を公営田として徭丁 (ようてい) に耕作させた。公営田からの収入はすべて官納とした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の公営田の言及

【調】より

… 調は律令財政の最も重要な収入源であり,官人の給与(位禄,季禄)にもあてられたので,その品質の低下や未納に対して,政府は厳しい態度でのぞんだが,品質の低下や未納が増加してくると,それを補うために,交易雑物(ぞうもつ)(出挙(すいこ)の利稲で調庸物に相当する物品を購入する)制度が展開していった。823年(弘仁14)に西海道諸国で試行された公営田(くえいでん)の制は,収穫稲によって調庸物を購入して貢上させるもので,中央政府と国衙との間では調庸の現物貢上の原則が保持されているが,国内での調庸の徴収は,課丁から直接に徴収するという律令の原則が修正されている。そして平安後期には,調は名(みよう)を単位に賦課される公事(くじ)のなかに吸収されていったと推定される。…

※「公営田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android