朝日日本歴史人物事典 「藤原薩雄」の解説
藤原薩雄
生年:生年不詳
奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の子。天平勝宝9(757)年,3月道祖王(皇太子)が廃されると,薩雄は内舎人の身分で新皇太子大炊王(のち淳仁天皇)を迎えるために,仲麻呂の私邸にでかけている。父仲麻呂と共に恵美朝臣姓を賜り,越前守,右虎賁率(右兵衛督)を歴任,従五位下。天平宝字3(759)年の「越前国東大寺開田図」には越前守として国判を加えている。藤原仲麻呂の乱(764)では父に与して敗れ,近江国(滋賀県)で斬られたとみられる。仲麻呂の6男刷雄と同一人物とする説があるが,官歴からすると別人とみる方が妥当だろう。<参考文献>岸俊男『藤原仲麻呂』
(増渕徹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報