デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原遵子」の解説
藤原遵子 ふじわらの-じゅんし
天徳元年生まれ。藤原頼忠の娘。母は厳子女王。貞元(じょうげん)3年(978)女御(にょうご),天元5年(982)皇后となり,中宮(ちゅうぐう)を称した。弘徽殿(こきでんの)女御,四条中宮,また子がなかったため素腹の后ともよばれた。のち皇太后,太皇太后。寛仁(かんにん)元年6月1日死去。61歳。名は「のぶこ」ともよむ。
(服藤早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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