弘徽殿(読み)こきでん

精選版 日本国語大辞典 「弘徽殿」の意味・読み・例文・類語

こき‐でん【弘徽殿】

[1] 平安内裏後宮殿舎一つ清涼殿の北、麗景殿と相対して、その西にあり、皇后中宮女御などの居所として使われた。母屋は中央を馬道(めどう)南北二つに分け、東は渡廊により常寧殿へ、北は切馬道によって登華殿に通じていた。西庇は長さ九間、南北に細く通じているので細殿ともいわれた。洪輝殿、弘輝殿、弘宜殿とも書く。こうきでん。
※三代実録‐貞観一七年(875)二月一四日「天皇暫避仁寿殿。御弘徽殿
源氏(1001‐14頃)絵合「こき殿は、その頃世に珍しくをかしきかぎりを、選り書かせ給へれば」

こうき‐でん【弘徽殿】

※源氏(1001‐14頃)乙女「こうきでんのまつ人よりさきにまゐり給にしもいかがなど」

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デジタル大辞泉 「弘徽殿」の意味・読み・例文・類語

こき‐でん【弘徽殿】

平安京内裏十七殿の一。清涼殿の北にあり、皇后中宮女御などの住居。こうきでん。
に住む皇后・中宮・女御などの女性の称。

こうき‐でん【弘徽殿】

こきでん」に同じ。

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改訂新版 世界大百科事典 「弘徽殿」の意味・わかりやすい解説

弘徽殿 (こきでん)

洪輝殿,弘輝殿,弘暉殿とも記す。平安宮内裏の後宮の殿舎。中宮,女御らの居住した所。常寧殿の南西方に位置し,東の麗景殿に相対する。875年(貞観17)にその存在が確認できる。南北棟建物で,東面を正面とする。身舎は桁行7間,梁行2間で,四面に廂(ひさし),さらに東面に孫廂がつく。身舎は中央に馬道が通り,南北各3間の二つの部分に分けられ,北の西半は塗籠に造って収蔵施設に用い,納殿という。西廂は南北に細く通じているので,細殿と称する。東廂障子によって,北3間,南4間の二つの部分に分けられる。北廂と東孫廂の外は欄干簀子(すのこ)をめぐらし,その北西隅から東へ渡廊がのびて常寧殿の西につらなり,北辺は切馬道でもって登花殿の南につながる。東の庭には萩と柿を植え,闘鶏が催されたことがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「弘徽殿」の意味・わかりやすい解説

弘徽殿
こきでん

「こうきでん」とも読み、洪輝殿、弘輝殿、弘宜殿とも書く。平安宮内裏(だいり)の殿舎の名。清涼殿(せいりょうでん)の北にあり、南北7間、東西2間の母屋(もや)の四面に廂(ひさし)、東に孫廂がある東向きの建物。中央に馬道(めどう)が通り、南北に分かれる。皇后、中宮、女御(にょうご)などの居所で、後宮のなかではもっとも清涼殿に近い。西廂は細殿(ほそどの)ともよばれ、『源氏物語』「花の宴」で、光源氏が紫宸殿(ししんでん)の観桜の宴の夜、ここで「朧月夜(おぼろづきよ)」という女性と出会う場面はよく知られている。

[吉田早苗]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「弘徽殿」の意味・わかりやすい解説

弘徽殿
こきでん

「こうきでん」とも読み,弘輝殿,弘暉殿,洪輝殿とも書く。平安京内裏殿舎の一つ。麗景殿に相対し清涼殿の北に位置する後宮の一つ。天皇が仁寿殿 (にんじゅでん) から清涼殿へ日常の居所を変えると,常寧殿を居所としていた皇后や中宮,女御などを弘徽殿へ移した。

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百科事典マイペディア 「弘徽殿」の意味・わかりやすい解説

弘徽殿【こきでん】

平安宮内裏(だいり)の後宮(こうきゅう)の殿舎の一つ。後宮の南西隅で清涼殿の北にある。皇后,中宮(ちゅうぐう),女御(にょうご)などの居所。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「弘徽殿」の解説

弘徽殿
(別題)
こうきでん

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
かうき殿
初演
延宝3.5(江戸・大和守邸)

弘徽殿
(通称)
こうきでん

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
弘徽殿嫐車
初演
享保9.1(大坂・榊山座)

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