朝日日本歴史人物事典 「藤原雄友」の解説
藤原雄友
生年:天平勝宝5(753)
奈良末・平安初期の公卿。右大臣是公と橘真都我(麻通我とも。佐為の4女)の子。左衛士督,左京大夫などを経て延暦25(806)年大納言となる。伊予親王事件(807)の発端は,藤原宗成が親王にすすめて「不軌を謀」っていると聞いた雄友が,右大臣藤原内麻呂に告げたことにあった。ただし雄友自身も親王の舅であったことから伊予国に流されてしまう。『日本後紀』によれば,温和な性格でみだりに喜怒を表さず,また容姿端正で「音韻清朗」「賀正の宣命に至りては(読み上げることについては),これを推して師となす」とある。弘仁1(810)年,許されて本位正三位に復す。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報