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藤原雄友 ふじわらの おとも

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原雄友 ふじわらの-おとも

753-811 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年生まれ。南家藤原是公(これきみ)の次男。母は橘真都賀(まつが)。延暦(えんりゃく)9年(790)参議。正三位にすすみ,25年大納言。大同(だいどう)2年伊予(いよ)親王事件に連座し,伊予(愛媛県)に流された。弘仁(こうにん)元年ゆるされ,正三位に復す。弘仁2年4月23日死去。59歳。贈大納言。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原雄友

没年:弘仁2.4.23(811.5.18)
生年:天平勝宝5(753)
奈良末・平安初期の公卿。右大臣是公と橘真都我(麻通我とも。佐為の4女)の子。左衛士督,左京大夫などを経て延暦25(806)年大納言となる。伊予親王事件(807)の発端は,藤原宗成が親王にすすめて「不軌を謀」っていると聞いた雄友が,右大臣藤原内麻呂に告げたことにあった。ただし雄友自身も親王の舅であったことから伊予国に流されてしまう。『日本後紀』によれば,温和な性格でみだりに喜怒を表さず,また容姿端正で「音韻清朗」「賀正の宣命に至りては(読み上げることについては),これを推して師となす」とある。弘仁1(810)年,許されて本位正三位に復す。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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