アルフレッド(読み)あるふれっど(その他表記)Alfred the Great

デジタル大辞泉 「アルフレッド」の意味・読み・例文・類語

アルフレッド(Alfred)

[849~899]イングランドの王。在位871~899。デーン人侵攻に対抗して南イングランドを統一教育振興、ラテン書英訳など文化的事業にも業績が多い。アルフレッド大王

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精選版 日本国語大辞典 「アルフレッド」の意味・読み・例文・類語

アルフレッド

  1. ( Alfred ) イングランドのウェセックス王(在位八七一‐八九九)。異教徒デーン人の侵略に対抗して領土確保学芸、教育を振興してアングロ‐サクソン文化の最盛期現出。アルフレッド大王。(八四九‐八九九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルフレッド」の意味・わかりやすい解説

アルフレッド(大王)
あるふれっど
Alfred the Great
(849―899)

イングランドのウェセックス王(在位871~899)。エセルウルフ王Ethelwulf(?―858、在位839~855)の子で、3人の兄の後を継いでウェセックス王となる。当時デーン人の侵入が激しく、ノーサンブリアからイースト・アングリアにかけてデーン人の定住を許し、ウェセックスも脅やかされていた。兄のエセルレッド王Ethelred(在位865/866~871)を助けて奮闘し、即位後も全サクソン人の期待を集めて異教徒デーン人と戦った。とくにイースト・アングリアのグスルム王Guthrum(?―890)が攻撃的であり、戦況はアルフレッドに不利であったが、878年エディントンで雪辱、チップナムで協定を結んでようやくグスルム王の進出を食い止めた。その後886年にロンドンからデーン人を追い優勢裏にグスルム王と協定を結んだ。その協定によってデーン人との境界を確定し、デーン人の支配地域下にあるサクソン人の生命、財産を防衛することに成功したが、その後も騎士軍や民兵の編成、海軍の創設に努めてサクソン国家の防衛体制を固めた。また州制を整えて行政組織を整備し、従来のサクソン法典を集大成した法典を編纂(へんさん)し、全イングランドに適用されるべきものとして国家統一の気運を進めた。またキリスト教信仰も厚く、サクソン文芸にも意を用い、学校をおこすとともに、ベーダオロシウスボエティウスなど多くのラテン古典書の英訳を奨励、自らも翻訳にあたった。890年ごろには『早期アングロ・サクソン年代記』が編纂されて、サクソン民族国家意識の高揚をみた。899年10月26日死去。

[富沢霊岸]

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百科事典マイペディア 「アルフレッド」の意味・わかりやすい解説

アルフレッド[大王]【アルフレッド】

ウェセックス王家のイングランド王(在位871年―899年)。当時イギリスに侵入していたデーン人と戦い,イングランド南部を確保。兵制を整え,行政改革,法典・年代記の編纂,ラテン語古典の英訳等文化の興隆に努めた。
→関連項目アングロ・サクソン年代記

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルフレッド」の意味・わかりやすい解説

アルフレッド
Alfred Ernest Albert, Duke of Edinburgh and Saxe-Coburg-Gotha

[生]1844.8.6. バークシャー,ウィンザー
[没]1900.7.30. コーブルク近郊
イギリスの女王ビクトリアの次男。 1862年ギリシア王に選出されたが,拒絶。 65年エディンバラ公,66年アルスター (伯家)を継承,93年ザクセン=コーブルク=ゴータ公家を継承。 86~89年イギリス地中海艦隊総司令官。

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