朝日日本歴史人物事典 「藤堂蝉吟」の解説
藤堂蝉吟
生年:寛永19(1642)
江戸前期の俳人。伊賀国(三重県)上野の人。藤堂(津)藩の侍大将で,伊賀上野城付きの藤堂新七郎良精(5000石)の3男。兄ふたりの死により嗣子となったが,家督を継ぐ前に25歳で死去した。俳諧は北村季吟門といわれるが,若くして死去したこともあり特にみるべきものはない。藤堂新七郎家は芭蕉の主家だが芭蕉の身分は不明で,正規の家臣ではなく奉公人であったとする説が今のところ最も有力である。蝉吟と芭蕉の直接の交渉を示す資料は,寛文5(1665)年の「貞徳翁十三回忌追善俳諧」のみである。<参考文献>菊山当年男『はせを』
(田中善信)
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