日本歴史地名大系 「藤戸渡」の解説 藤戸渡ふじとのわたし 岡山県:倉敷市旧児島郡地区藤戸村藤戸渡高坪(たかつぼ)山から種松(たねまつ)山東山麓の間をいい、その間は「藤戸海路三丁余」(「吾妻鏡」元暦元年一二月七日条)、「二五町ばかり」(「平家物語」巻一〇)、「海上四五町」(「源平盛衰記」巻四一)とある。元暦元年(一一八四)一二月七日、佐々木盛綱が浅瀬を騎馬で渡り、対岸の平氏軍に先陣をかけた藤戸合戦が行われた。この時に盛綱に浅瀬を教えた浦の男の悲劇を扱った謡曲「藤戸」でも知られる。浅瀬は月の初めと終りでは変わり、その時は海面は約一〇町、浅い所は膝の高さであったという(平家物語)。藤戸から西方粒江(つぶえ)にかけては、合戦に由縁の史跡が残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by