藤氏一揆(読み)とうしいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤氏一揆」の意味・わかりやすい解説

藤氏一揆
とうしいっき

1341年(興国2・暦応4)に起こった事件。東国経営に腐心する北畠親房(きたばたけちかふさ)を中心とする南朝勢力に大きな打撃を与えた。これは、「藤氏の人々一揆して」(伊勢結城(いせゆうき)文書)、つまり、藤原氏の後裔(こうえい)と称する小山(おやま)・小田(おだ)・結城(ゆうき)氏らが、前関白(さきのかんぱく)近衛経忠(このえつねただ)と同盟し、北朝でも南朝でもない独自な政権である「第三王朝」を建設し、成功の暁には、経忠が天下の政権をとり、小山朝郷(ともさと)(最初朝氏(ともうじ))が坂東管領(ばんどうかんれい)に就任するというものである。これに対して親房は、「荒説(こうせつ)」であるとか、「御物狂之至」とかいってしきりに否定しようとしたが、実際に朝郷や親房のもとに経忠の使僧がやってきた。しかしこの遠大な計画も実現するまでには至らなかった。

[新川武紀]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤氏一揆の言及

【下野国】より

…しかし下野最大の豪族的領主小山氏は観望の態度をとり続け,親房は〈進退これきわまるものなり〉と嘆いている。さらに41年(興国2∥暦応4)の藤氏一揆は親房を悩ませた。それは,前関白近衛経忠が藤原氏子孫の小山氏や常陸の小田氏,結城氏に働きかけ,いわゆる藤原同盟を結成し,経忠自身が天下の政権をとり,小山朝郷(朝氏)が〈坂東管領〉になるという構想であり,明らかに南朝でも北朝でもない第三王朝の建設を目ざしたものである。…

※「藤氏一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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