「愚管記」貞治六年(一三六七)一二月一二日条に同月七日に死去した足利義詮の遺体を「大樹去八日夜移
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京都市北区にある臨済宗天竜寺派の寺。山号は万年山。本尊は釈迦如来。暦応年間(1338-42)足利尊氏が夢窓疎石を開山に招請して,衣笠山山麓の現在地に開創。尊氏の弟の直義も同じ寺名の等持寺(等持院とも呼ぶ)を洛中の三条坊門に建てたので,区別して室町時代には〈北等持〉とも呼ばれた。1358年(正平13・延文3)尊氏は当寺に葬られ,以後,歴代足利将軍の葬送が行われ,その廟所となり,また寺内に将軍歴代の像や位牌がまつられることとなった。幕末の1863年(文久3)尊皇攘夷派の武士が乱入して尊氏・義詮(よしあきら)・義満の木像の首を切り,鎌倉以来の逆臣として三条河原にさらした事件が起こった。その後,木像は修理され,いま霊光殿に安置される。江戸時代の朱印寺領326石余。1808年(文化5)火災があり,現在の堂舎はその後の復興である。なお,夢窓の作という芙蓉池を中心とした林泉は,景趣に富む名園として江戸時代からよく知られている。
執筆者:藤井 学
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京都市北区等持院北町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。万年山と号する。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。1341年(興国2・暦応4)足利尊氏(あしかがたかうじ)が夢窓疎石(むそうそせき)を招いて開創、初め二条高倉にあって等持寺と称した。1358年(正平13・延文3)尊氏が没するとこの寺に葬り、法名を等持院殿と号し、寺名も等持院と改めた。以来、足利家歴代の廟所(びょうしょ)として栄え、十刹(じっさつ)の第一位とされた。現本堂(方丈)は妙心寺塔頭(たっちゅう)から移建されたもので、1616年(元和2)福島正則(まさのり)が建立した古建築である。尊氏以下、足利氏歴代将軍の木像が霊光殿に安置されている。寺宝の等持寺絵図は国重要文化財。境内には夢窓国師作と伝える庭園、茶室清連(せいれん)亭がある。
[菅沼 晃]
京都市北区にある臨済宗天竜寺派の寺。万年山と号す。開山は夢窓疎石(むそうそせき)で,開基は足利尊氏。もと真言宗で仁和寺の子院だったが,暦応年間(1338~42)夢窓によって中興され,禅寺となる。歴代足利将軍の葬送はすべてここで行われ,足利家の菩提寺として崇敬された。尊氏・義詮(よしあきら)・義満ほかの木像,「等持寺絵図」(重文)などがある。
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