等持院(読み)トウジイン

デジタル大辞泉の解説

とうじ‐いん〔トウヂヰン〕【等持院】

京都市北区にある臨済宗天竜寺派の寺。山号万年山開創は興国2=暦応4年(1341)、開基は足利尊氏(あしかがたかうじ)、開山は夢窓疎石。初め二条高倉にあり等持寺と称したが、尊氏が没するとこの寺に葬り、法号にちなみ等持院とした。以後、足利家歴代の廟所(びょうしょ)。京都十刹の一。

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百科事典マイペディアの解説

等持院【とうじいん】

京都市北区にある臨済宗天竜寺派の寺。本尊釈迦如来。暦応(りゃくおう)年間(1338年―1342年)足利尊氏(たかうじ)が開創,開山夢窓疎石(むそうそせき)。三条坊門(さんじょうぼうもん)の等持寺と区別するため〈北等持〉とも言った。尊氏以下歴代足利将軍の葬送が行われ,位牌と木像がまつられた。1863年尊皇攘夷派の武士により尊氏・義詮(よしあきら)・義満(よしみつ)の木像梟首事件が起こった。
→関連項目安食荘倉見荘

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世界大百科事典 第2版の解説

とうじいん【等持院】

京都市北区にある臨済宗天竜寺派の寺。山号は万年山。本尊は釈迦如来。暦応年間(1338‐42)足利尊氏が夢窓疎石を開山に招請して,衣笠山山麓の現在地に開創。尊氏の弟の直義も同じ寺名の等持寺(等持院とも呼ぶ)を洛中の三条坊門に建てたので,区別して室町時代には〈北等持〉とも呼ばれた。1358年(正平13∥延文3)尊氏は当寺に葬られ,以後,歴代足利将軍の葬送が行われ,その廟所となり,また寺内に将軍歴代の像や位牌がまつられることとなった。

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大辞林 第三版の解説

とうじいん【等持院】

京都市北区等持院北町にある臨済宗天竜寺派の寺。山号、万年山。1341年夢窓疎石を開山として足利尊氏が創建。尊氏が葬られて以後、足利氏歴代の廟所となる。寺号は尊氏の法号にちなむ。尊氏以下歴代将軍の木像や位牌がまつられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

等持院
とうじいん

京都市北区等持院北町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。万年山と号する。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。1341年(興国2・暦応4)足利尊氏(あしかがたかうじ)が夢窓疎石(むそうそせき)を招いて開創、初め二条高倉にあって等持寺と称した。1358年(正平13・延文3)尊氏が没するとこの寺に葬り、法名を等持院殿と号し、寺名も等持院と改めた。以来、足利家歴代の廟所(びょうしょ)として栄え、十刹(じっさつ)の第一位とされた。現本堂(方丈)は妙心寺塔頭(たっちゅう)から移建されたもので、1616年(元和2)福島正則(まさのり)が建立した古建築である。尊氏以下、足利氏歴代将軍の木像が霊光殿に安置されている。寺宝の等持寺絵図は国重要文化財。境内には夢窓国師作と伝える庭園、茶室清連(せいれん)亭がある。[菅沼 晃]

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