藤田上村(読み)ふじたかみむら

日本歴史地名大系 「藤田上村」の解説

藤田上村
ふじたかみむら

[現在地名]柵原町藤田上

惣田そうだ村の東から北にあり、もとは北の藤田下村とともに藤田村をなしていた。西の下谷しもだに村境に当村枝郷の栗尾くりお集落がある。永正一二年(一五一五)の京都真如しんによ堂の堂領目録(真正極楽寺文書)に「藤田村地頭職」とあるが、当地のことか。なお「真如堂縁起」によれば嘉禎四年(一二三八)執権北条泰時が北条政子や父義時の菩提を弔うため、富田とみた(現津山市)内の藤田里地頭職を同堂に寄進したという。正保郷帳では藤田村として田三四〇石・畑一七一石。元禄二年(一六八九)の差出控(弓斎収集史料)では上藤田かみふじた村とあり、高四〇三石余、林山六町一反余、家数五六のうち本百姓一九・社家一・名子家来二一で、ほか栗尾の本百姓五・名子家来一〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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