藤野木村(読み)とうのきむら

日本歴史地名大系 「藤野木村」の解説

藤野木村
とうのきむら

[現在地名]御坂町藤野木

甲府盆地の東端御坂峠に向かう山中に位置し、鎌倉街道で峠を越えると河口かわぐち(現河口湖町)、西は上黒駒かみくろこま村。枝郷に新田しんでん駒木戸こまきどがある(甲斐国志)。天正一〇年(一五八二)八月一二日、御坂城に拠った小田原北条勢は当地や黒駒で布陣して徳川勢と戦ったが、敗れて御坂城に帰城した(「小田原記」など)。慶長古高帳に藤之木とみえ高一五石余、幕府領。寛永一〇年(一六三三)と考えられるが旗本桜井領となり(「寛政重修諸家譜」など)、宝永二年(一七〇五)以降の領主の変遷は国衙こくが村に同じ。延宝四年(一六七六)桜井庄之助が新地開墾を命じ、枝郷新田組を興した(「家歴」弦間正明家文書)


藤野木村
ふじのきむら

[現在地名]山国町藤野木

山国川上流部で、郡の最南部にあり、東は玖珠くす古後こご(現玖珠町)、西は守実もりざね村、南は日田郡長尾野ながおの村。小倉藩元和人畜改帳では藤ノ木村とあり、高二一五石余、家数三〇(うち百姓一〇・名子一四)・人数七六、牛一〇・馬五とある。元禄豊前国高帳では藤木村とあり、高二一八石余。天保一五年(一八四四)年貢皆済目録(山国町郷土誌叢書)によると、高二二〇石余に本途物成一三四石余、小物成は米三石余と銀一六〇匁となっている。明和八年(一七七一)の定納小物成取立上納之訳書上帳(同書)によれば、茶役上納は米二石二斗余で、細川氏時代より畑の畔・片坂平・岩間などの茶樹にかけていたが、枯れ失せても定納した。


藤野木村
ふじのきむら

[現在地名]新潟市藤野木

西にし川左岸に立地し、東は小瀬こせ村、南は小見郷屋おみごや村。慶長一四年(一六〇九)の小見郷屋開発許可状(細山甚一氏蔵)に「あふミ辻大柳藤木境上ノ嶋はなより江崎迄」とみえる。元禄郷帳では赤塚あかつか村枝郷とあり、高一四〇石九斗余。明和二年(一七六五)の石瀬代官所村々高辻帳(北条一也氏蔵)では藤野木新田とあり、高二二二石五斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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