御坂峠(読み)みさかとうげ

日本歴史地名大系 「御坂峠」の解説

御坂峠
みさかとうげ

御坂町と河口湖かわぐちこ町の境にある峠。標高一五二七メートル。御坂山地くろ(一七九二・七メートル)と御坂山(一五九六メートル)の鞍部にかかる。河口湖方面の眺めは絶景で、富士山と山麓の全景を視野におさめることができる。峠名の由来にかかわって日本武尊が当峠を越えたという伝説を伝えているが、同様の伝説は周辺の峠にも残る。頂上一帯は平坦地になっており、峠の茶屋、裏手には天神の小祠がある。また、藤野木とうのき方面に五〇メートルほど下った所に子持石の名をもつ石塚がある。後ろ向きに股の下から石を投げて塚の上に乗れば男子、乗らなければ女子が生れるというもので、峠や村境などにみられる風習の一つである。その他「甲斐国志」によれば、藤野木側中腹に役行者堂や強清水こわしみずがあった。御坂の「坂」は峠と同義で、当峠のみならず山地の入口や鞍部には神々が祀られているのが一般的で、「御坂」の名には神々に対する畏怖が込められていると考えられる。そうした民俗信仰が日本武尊の名を登場させることによって伝説の形となって残ったものであろう。

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改訂新版 世界大百科事典 「御坂峠」の意味・わかりやすい解説

御坂峠 (みさかとうげ)

山梨県南部,御坂山地にある御坂山と黒岳間の峠。標高1525m。中世には甲斐の国中と駿河を結ぶ鎌倉街道(現,国道137号線)の要所として重視された。1967年新御坂トンネル(長さ2778m。94年無料開放)が完成,国道はこの峠の下を通っている。富士山の眺望がすぐれ,太宰治が《富岳百景》を執筆した天下茶屋があり,その一節〈富士には,月見草がよく似合ふ〉を刻んだ文学碑が建つ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御坂峠」の意味・わかりやすい解説

御坂峠
みさかとうげ

山梨県南東部,笛吹市富士河口湖町との境にある峠。御坂山地を御坂山と黒岳の鞍部で越える。標高 1520m。甲府盆地と東海地方とを結ぶ通路として古代から開け,中世には鎌倉往還が通った。付近の天下茶屋では太宰治が小説『富嶽百景』を執筆。 1926年東方の八丁峠に御坂隧道が開かれ,1967年付近に新御坂トンネルが完成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御坂峠」の意味・わかりやすい解説

御坂峠
みさかとうげ

山梨県の御坂山(1596メートル)と黒岳(1793メートル)との鞍部(あんぶ)を通る峠。古くから甲府盆地と富士北麓(ほくろく)を結ぶ峠として利用されてきたが、八町峠(はっちょうとうげ)に御坂トンネル(国道137号)が通じ、さらに1967年(昭和42)県営有料道路として御坂山の西に新御坂トンネルが完成し(1994年無料化)、交通の便は倍加した。旧国道は峠路として趣(おもむき)があり、近年は注目され、交通量もやや増加している。

[吉村 稔]

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世界大百科事典(旧版)内の御坂峠の言及

【峠】より

…山の鞍部を横切って山越えの道が通っているところをいう。
[峠という言葉]
 峠という字は日本で作られたもので,道が山嶺を越えて上り下りするところからできた。鞍部をタワと呼ぶところから,そこを越えるのでタワゴエが転じてトウゲとなったという説と,そのような場所には境界()が多く,境の神,塞(さい)の神あるいは道祖神などがまつられるので,その神に安全を祈って手向(たむ)けをするところから,タムケがトウゲになまったという説とがある。…

※「御坂峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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