藤 雅三
フジ マサゾウ
明治・大正期の洋画家
- 生年
- 嘉永6年3月15日(1853年)
- 没年
- 大正5(1916)年12月
- 出生地
- 豊後国臼杵(大分県)
- 学歴〔年〕
- 工部美術学校〔明治15年〕修了
- 経歴
- はじめ帆足杏雨に南画を学ぶ。明治9年工部美術学校に入学し、フォンタネージ、サン・ジョヴァンニに師事。14年第2回内国勧業博覧会に「弓術之図」を出品出品。18年工部省留学生として渡仏、ラファエル・コランに師事。黒田清輝に画学転向を勧める。20年パリのル・サロンに「ズボンの破れ」が入選。その後、セーヴル製陶所で陶器研究ののち、米国へ渡り、同地で没した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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藤雅三 ふじ-まさぞう
1853-1916 明治時代の洋画家。
嘉永(かえい)6年3月15日生まれ。帆足杏雨(ほあし-きょうう)に文人画をまなんだのち,工部美術学校に入学。明治18年工部省留学生としてフランスへわたり,ラファエル=コランに師事。セーブルの製陶所で研究後,アメリカで陶器工場の図案主任となり大正5年12月同地で死去。64歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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