フランスの画家。パリに生まれ、同地のエコール・デ・ボザール(国立美術学校)でブーグローWilliam-Adolphe Bouguereau(1825―1905)やカバネルに学ぶ。1873年以来サロンに出品し、1898年にはその審査員となる。アカデミー・コラロッシで教え、また1902年母校のエコール・デ・ボザールの教授となる。当時のアカデミックなリアリズムに印象派的な明るい色彩を加えた優雅で折衷的な画風であり、『ダフニスとクロエ』『牧歌』などが代表作。黒田清輝(くろだせいき)、久米桂一郎(くめけいいちろう)、和田英作、岡田三郎助、山下新太郎らはいずれも彼に学んでおり、明治後半の洋画に与えた影響はきわめて大きい。
[篠塚二三男]
フランスの画家。パリに生まれ,少年時代をロレーヌ地方ベルダンで過ごす。1869年パリに帰り,画家を志してブーグロー,ついでカバネルのアトリエに入り学ぶ。73年のサロン(官展)に《眠り》を出品して入選,画壇にデビューし,以後裸婦像,肖像の画家として知られた。84年サロン出品の《夏》は印象派的な外光描写をとりいれて好評を得,86年出品の《花月(フロレアル)》はリュクサンブール美術館に購入された。89年パリ万国博では大賞を受賞,ソルボンヌの壁画《晩夏》,オデオン座の天井画(1891完成)を依頼された。1902年パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)教授となり,09年にはフランス学士院会員に任命されたが,第1次大戦中にノルマンディーで死去した。《花月》が機縁となって,滞仏中の日本の画家藤雅三,黒田清輝,久米桂一郎(1866-1934)などを指導,彼らをとおしてその外光描写の作風(外光派)は明治中期以降の日本洋画に大きな影響を与えた。
執筆者:陰里 鉄郎
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…またミュンヘンに留学してドイツ歴史画派のガブリエル・マックスに師事した原田直次郎は,確かな表現力によって次代を担うホープとして期待されたが,92年脊髄病に倒れて再び立たず(1899年37歳で夭折),彼に代わるように,93年黒田清輝がフランスから帰国する。 ブーグロー,カバネルのアカデミストにつき,バスティアン・ルパージュの外光描写をとり入れた折衷様式の画家R.コランが黒田の師であった。黒田は帰国後,久米桂一郎(1866‐1934)と天真道場を設立し,外光派の明るい写実主義の画風と,フランス・アカデミズムの基礎技術を伝え,96年にはようやく東京美術学校に増設された西洋画科の主任教授となる(助教授は岡田三郎助,藤島武二)。…
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