蛇田村
へびたむら
[現在地名]石巻市清水町一―二丁目・山下町一―二丁目・田道町一―二丁目・中里一―七丁目・南中里一―四丁目・旭町・西山町・末広町・新橋・錦町・向陽町一―五丁目・丸井戸一―三丁目・新境町一―二丁目・蛇田、字水押・西中里・新境谷地・境谷地・横堤・新横堤・横堤南・南谷地
石巻村の西北部に隣接。北は桃生郡鹿股村(現河南町)、西は同郡赤井村(現矢本町)に接し、北東は北上川を隔てて南境村の舌端部に対する。村名の由来は「安永風土記」によれば、燕がくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から無数の蛇が出てきたため、村の南西に埋め、塚を築き、蛇塚と名付けた。このため村名を蛇多とし、後年蛇田と書替えたという。また上毛野田道の征夷伝説を信じた村人が「蛇田道公」と尊称、祀ったところからともいう。
正保郷帳に「
田村」とあり、田二六貫三三七文・畑三貫二八六文、ほかに同所新田九八九文があり、柴山と注記される。
蛇田村
へびたむら
[現在地名]魚津市蛇田
布施川左岸にあり、南は天神野新村、西は東尾崎村。文化七年(一八一〇)の新川郡郷庄附村名書上申帳(加越能文庫)では「ヘミダ」と読まれる。永禄一二年(一五六九)一一月一六日、新川地方の支配権を掌握し始めた越後の河田長親が「布施保内蛇田村」を庄田定賢に宛行っている(「河田長親宛行状」別本歴代古案)。元亀三年(一五七二)閏正月二二日には、長親が前記の蛇田村分とともに同村新田一五貫文を定賢に宛行った(「河田長親宛行状」同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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