裁断橋跡
さいだんばしあと
[現在地名]熱田区伝馬町四丁目
伝馬町の東端、精進川に架かっていた橋。江戸時代には宮宿の東入口であった。この橋の東に熱田社の築出鳥居があった。橋の西たもとに姥堂があったので、「おんばこ橋」ともいった。昭和元年(一九二六)精進川が埋立てられた時、廃橋となり、現在、姥堂の境内に縮小復原されている。永正六年(一五〇九)奥書の熱田講式に「裁談橋」とみえ、享禄二年(一五二九)の作といわれている古図(徳川美術館蔵)には板橋が描かれ、永禄一〇年(一五六七)の「富士見道記」には「讃
橋」とみえているので、遅くとも中世末には架橋されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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