日本大百科全書(ニッポニカ) 「西三河地方」の意味・わかりやすい解説
西三河地方
にしみかわちほう
愛知県中央部、矢作川(やはぎがわ)の中・下流部一帯をいう。古代の三河国は7郡で、うち額田(ぬかた)、碧海(へきかい)、幡豆(はず)、賀茂(かも)(加茂)の4郡が西三河地方である。三河の政治の中心は国府(東三河)、経済の主体は西三河で、矢作川は御川(みかわ)、美川(みかわ)とよばれた。中世は足利(あしかが)氏の所領で、室町幕府の要人を多く輩出している。近世は岡崎城で生まれた松平(徳川)家康が天下を統一して江戸幕府を開くが、ふるさと西三河は尾張(おわり)国とは対照的に、岡崎、西尾、刈谷(かりや)、挙母(ころも)など四つの小藩と旗本領、天領などを配した分割統治の体制を敷き、藩主には譜代(ふだい)を据え幕閣の要職に任命した。しかし明治初期の廃藩置県(1871)では、東西の三河10藩と知多郡を含めて額田県(県庁は岡崎城内)となった。2012年(平成24)現在、愛知県西三河管内には7市1町が含まれ、岡崎市に西三河総合庁舎がある。
[伊藤郷平]