日本歴史地名大系 「西三谷村」の解説 西三谷村にしみたにむら 和歌山県:那賀郡打田町西三谷村[現在地名]打田町西三谷中三谷村の西にあり、村域は南北に細長い。北半分は山地、南半が平地で、その南寄りを淡島街道が東西に通る。西は東坂本(ひがしさかもと)村(現岩出町)。中世は池田(いけだ)庄に含まれた。慶長検地高目録によると村高八三九石余。池田組に属し、元禄二年(一六八九)の池田組指出帳(田中家文書)では高八三九・二二三石、うち田方七八九・三七四四石(四六町九反余)、畠方四九・八四八六石(三町四反余)、家数九四、人数三九三、馬一一、牛五三。また文化四年(一八〇七)の池田組大指出帳写(黒山家文書)では総石高にあまり変化はないが、田が若干増し畠が減っている。家数一一八で内訳は庄屋・あるき・大工各一、肝煎・寺各二、本役三五、半役三六、無役四〇、人数三五一、池八(山之池・内谷池・皿池など)、岩出(いわで)(現岩出町)の渡船代として米麦各六斗を出すとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by